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仕事の年報2017年度版

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    JUGEMテーマ:博物館

     

    北海道命名150年。2018年は全国的には明治150年、北海道では命名150年としてさまざまなイベントが企画されている。50年前、1968(昭和43)年の明治百年、北海道は「開道百年」を祝った。北海道大博覧会が開催され、9月2日の記念式典には天皇皇后両陛下が臨席した。高度経済成長のまっただ中にあり、1970年の大阪万国博覧会を控え、石油ショックはまだ影を見せず、インフレに仰ぎながらもそれを上回る賃金の上昇が確約され、1972年の札幌オリンピックの招致も決まった熱い時代だった。そして北海道博物館、当時の名でいえば北海道開拓記念館の建設も開道百年の記念事業として決定された。


    開基百年。この言葉、若い人にはなじみがないだろう。役所が置かれて100年となる年を北海道の市町村ではこう呼んだ。内地と異なり、北海道では地域の起源となる年が定まるのである。もちろん近世、江戸時代とは幕藩体制国家の範囲に用いる言葉であり、その外側にあった蝦夷地は外国であるため北海道の歴史では近世を好んで使う、にも内地からの出稼ぎ者や一部には定住者もあった。けれどもそれは非公式な住民ということだろう。北海道と命名されて、役所が置かれて、正式に日本の歴史に登場する、そんな感覚だろうか。市町村でも開基百年の記念事業として博物館建設がブームになっていく。それにしても、開道も開基も開拓も、その言葉は


    誰の歴史かという視点が問われる。役所に歴史の原点を求める姿勢、これは紛れもなく入殖者の歴史観、成功した植民地を公言する表現である。昭和の自治体史には「アイヌが住んでいるだけで」といった露骨な差別表現が散見される。しかしそれは時に棄民状態に放置された開拓時代を堪えしのぎ、戦争の時代をくぐり抜け、ようやく安堵できる生活を手にした経験からすれば、悪気のない表現だったのかも知れない。それでも彼らとは別に我が歴史は展開したという見方は覚えておきたい。いろいろな経験と反省、先住民の権利の回復の世界的な流れを受け、今回の記念事業では北海道の命名者でありアイヌの人たちの理解者であった松浦武四郎を取り上げている。必要なのは開拓の歴史を抹消することでは無く、事実を見つめ、自分たちとは異なる視点で評価を加えることだ。


    ガラスネガに写し込まれたのは1888(明治21)年の網走である。普段の生活では意識されないが、この町でも当然アイヌの人たちが暮らしていた。農地は測量すら未遂でオホーツクでは屯田兵もまだいない。農業以前の網走の姿である。できたばかりの市街地では、すでに旅館が営業を始めていた。市街地の整備に先立ちアイヌコタンを強制的に移したのは1886年のことという。コタンの姿はチセを含めて本来の姿ではないのだろう。そして彼らは慣れない農業や漁業に従事することになる。それにしても帽子岩を臨む網走川の河畔風景は美しい。現在の生活の質を確保しながら失った美を取り戻すこと、これが150年目の課題となっていくだろう。

     


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